神津島 多幸手漉き和紙ハウス

自然の中で地域資源(桑の木・多幸湧水)を使った和紙作り体験をしませんか?

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神津島の桑と多幸湧水

(写真)桑の木と湧水

 多幸手漉き和紙ハウスでは、神津島の地域資源である「桑」と「多幸湧水」を使用して、手漉き和紙を制作する体験をしていただけます。ここでは、神津島の「桑」と「湧水」についてご紹介いたします。

神津島の「桑」

 「神津島村史」によると、島内の桑は質が高く、孤立した島だけに桑および蚕の病菌が無かったため、昭和に入る頃迄養蚕が盛んに続けられましたが、絹の需要が減少し、養蚕業は昭和初期には無くなってしまいました。

 さらに「伊豆諸島東京移管百年史(下巻)」によると、昭和44年から養蚕業は島の北東部にある砂糠山(サヌカヤマ)で国の農業構造改革として養蚕小屋と桑園を作り復活したとの記載があります。しかし、その後昭和55年頃に養蚕は廃止になり桑園の手入れはされなくなり、現在は野生林となっています。

 桑は一般的に銘木とされ全国的に植栽が行われており、特に伊豆七島の御蔵島産、三宅島産の「島桑」は最高級の材料とされています。比重は0.62で、檜の0.41、杉の0.38よりも大きく、さらに蓄積が極めて少ないため貴重な木材とされています。

桑の『幹』

『幹』の部分は加工品として茶箪笥、長火鉢、ちゃぶ台、湯飲、数珠等の生活用品として使われてきました。

桑の『枝』

『枝』の部分は樹皮を剥ぎ、剥いだ部分から繊維を抽出し和紙の原料として利用されています。

桑の『葉』

『葉』は栄養素として食物繊維・カルシウム・カリウム・β-カロテン・鉄分・ビタミン等が非常に多く含まれ、糖尿病予防・メタボ対策・便秘対策・二日酔いに効果が有ると言われており、お茶や青汁等の健康食品として利用されています。

桑の『実』

そして『実』の部分はそのまま食べたり、ジャムに加工して利用するなど用途は様々あるようです。

多幸湧水

 多幸湧水の由来は、日本神話から始まります。 神津島は太古の昔に事代主命(コトシロヌシノミコト)という神様が、伊豆七島を作るために神々を集め会議をした島であったことから「神集島」と名づけられ、後に「神津島」となりました。

 その時一番大切だった会議は、生命の源である「水」をどのように分配するかということでしたが、各島の言い分が様々でなかなかまとまりませんでした。そこで翌朝、先着順に配分することになり、一番早く着いた御蔵島が最も多くの配分を受け、次は新島、三番目は八丈島、四番目は三宅島、五番目は大島でした。

 こうして水は次々と配分され、最後に利島の神様がやってきたときには水はほとんど残っていませんでした。それを見た利島の神様は怒り、わずかに残った水に飛び込んで暴れまわりました。この水が四方八方に飛び散り、神津島ではいたるところで水が湧き出るようになったと言われており、その一つが天上山に降る雨水が浄化され、豊富な水量となって多幸湾に流れる多幸湧水となったとのことです。

 多幸湾のある三浦漁港では、冬の伊勢えび漁やカジキマグロの突ん棒漁に出漁する釣船で賑わい、海の幸と豊富な湧き水を島民に与えることから、幸多き地区ということで多幸と名が付いたとのことです。

 そして多幸湧水は、「水量、水質、その由来、景観などに優れた湧水等」を条件とされている「東京の名湧水57選」に選定され、2003年1月24日に公表されました。